「これじゃあだめだ」
「もっと良くできないか」
「もっと高いところまでいけないか」
「もっと、もっとだ。」
飽くなき向上心、飽くなき挑戦。
いつまでも現状に留まらずのぼり続けるその姿は美しい。
しかし、それは逆にいつまでも「満足することはない」ということ。
それは、果たしてしあわせと呼べるのだろうか。
無論、「しあわせはその人が決めることで、他人が介入すべきことではない」ということは百も承知だが、ある視点で見るならどうしようもないぐらい不幸なのではないか。
入口と出口が繋がる螺旋のような、ハムスターが走る、回し車のような。
今作、カルンをつくっている時にそれを感じた。
来る日も来る日も音のことばかりを考え、苛立ったり、悔しかったりした。
でも、たくさんの思いを感じてようやく完成したそれは、満足のいくもの。
本当にうれしかった。
おそらく、すぐにこの満足はうすれ、「次はもっと!」という気持ちが出てくるんだろう。
「しあわせか?」
と尋ねられると、よくわからない。
しかしうれしいことはたくさんある。
僕の足りない頭では「うれしい」と「しあわせ」の違いが説明できない。
だから今は「しあわせっぽい」ということにしておこう。笑
濁ることなくいいものだけを追うという「飽くなき」はきっと、わるいことではないのだろう。
だから、これからもやってく。
不幸なしあわせだとしても。
悪無き、 灰汁なき、 飽くなきこと。